こんにちは、こだつパパです。
6月に私の父が亡くなりました。
四十九日が終わり、落ち着いたところです。
死因は特発性間質性肺炎と肺気腫の併発で、最期は苦しい闘病生活でした。
酸素が取り込めない病気
間質性肺炎と肺気腫どちらも酸素がうまく取り込めなくなる病気です。
間質性肺炎は肺胞が炎症を起こし、硬くなって縮むので、酸素が取り込みにくくなり、息を吸おうとしても肺が広がらなくて苦しい難病です。
CTで見ると蜂の巣状に見えます。
肺気腫の方は、肺がボロボロになって弾力がなくなり、うまく空気を吐き出せない病気です。
CTで見ると黒い塊に見えます。
父はうまく息を吸えないし吐けない状態だったということですかね。
実際呼吸はとても小刻みで、最後は脈と同じくらいの速さだったかと思います。
原因としては一般的にタバコだそうですが、父は木工を趣味にしており、木屑の吸い込みでより悪化させたのではないかと思っています。
経過
2年前
最初は咳や咳払いが多いなと思いました。
それでもまだまだ元気でした。
1年半前
病院に行ったら肺気腫と診断されたそうです。
私はこの時初めて知りましたが、ネットで調べるとまだ何年も生きられるはずと、そこまで深刻には考えていませんでした。
1年前
病院を変え、特発性間質性肺炎も併発と診断され、在宅酸素療法をすることになりました。
治ることはない病気です。少しでも楽に過ごせるように、少しでも体を動かす気力が戻るようにという考えで始めました。
息苦しいから動かなくなり、体力が落ちてどんどん動けなくなる。この悪循環を止めたかった。
結果、父にはどれだけ効果があったかわかりませんが。
父はどんどん痩せていきました。
数ヶ月前
ほとんどベッドの上で過ごすようになりました。
もう自分は長くないと言うように。
家族としても人生最後に何をしてあげられるだろうと悩んでいました。
旅行も無理、ご飯食べに行くのも無理、孫たちと遊ぶのも無理。
誰かが会いに来ても、話をすると疲れるだけ、という状態になっていきました。
結果、少しでも好きな食べ物を、と持っていってあげるくらいでした。
今でも何かしてあげられたんじゃないかと後悔が残っています。
最期
亡くなる二週間前に増悪で入院。
一週間前には、もういつどうなるかわからないという主治医の言葉があったそうです。
亡くなる2日前に姉と面会に行きました。
私たちは泣くのを堪えて、父の話を聞きました。
苦しいからなのか、父も泣くのを堪えていたのかわかりませんが、頬が紅潮していました。
父に感謝の言葉を伝え、最後に固く手を握り締め、15分の面会を終えました。
手には力があり、父はまだきっと大丈夫だと思いました。
でも二日後、気胸になり、意識を失い、そのまま逝ってしまいました。
子どもと向き合って
娘を育てていく中で、父もこんな気持ちで親をやっていたのかなと思うことがあります。
子育てに向き合えば向き合うほど、親のありがたみがわかりました。
時代が時代でしたが、寿命を縮めるような働き方をして、家族のために頑張ってくれた父に、もっと恩返しがしたかったです。
父はそれより自分の子どもにしてやれって言ったでしょうが。


